まいのりてぃりぽーと

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少年スポーツ漫画の新しい形『ブルーロック』

最近、少年マガジンで注目している漫画がある。
『ブルーロック』
連載開始当初から売れるかなと少しだけ予想はしていたがあれよあれよという間に既刊8巻で100万部突破。

表紙などから想像できる通りサッカーの漫画だが、飽和しているサッカー漫画市場(一部少年誌では地雷とまで言われる)でどのような部分が評価されて売れているのか蓋を開けてみたい。

異質なスポーツ漫画ー

スポーツ漫画は有名な過去の作品から今に至るまで少年誌、青年誌、掲載媒体を問わずに幅広く展開されている。特段サッカー漫画においては日本における競技人口からも触れた人が多く題材として読者に興味や共感を抱かせることから定期的に目に触れるジャンルの一つではある。

多く目に留まる題材では必ずと言っていいほど他作品との差別化が重要になる。過去にヒットした漫画からも明らかだ。不良集団が野球をしたり、エース級の選手が無名校で部活を立ち上げたりと今やテンプレートな設定も必ず出自がある。
(赤髪の男がバスケットボールする漫画はあの画力で週刊連載を行い、話の構成もずば抜けているので例外というより反則だと思う。)
そうしたテンプレートが出し尽くされたといっても過言ではないサッカー漫画市場、また奇をてらった作品を作ろうにも「ボールは友達」な主人公が存在する漫画のおかげで二番煎じと言われ、すべてが霞む可能性が高すぎるリスクすら内包しているサッカー漫画市場。
そこにおいてブルーロックは異質を放っている。

鉄板の設定と原作

『ブルーロック』の設定は、「ブルーロック(通称:青い監獄)」において300人のFW(サッカーにおいてゴールが目的の得点役)がたった5人になるまで鎬を削るという単純明快な図になっている。

そして原作は金城宗幸、『神さまの言うとおり』を手掛けた原作者だ。
前作『神さまの言うとおり』も明快なサバイバルシチュエーション。得意とするフィールドをサッカー漫画で作り出したのだ。

サッカー漫画でサバイバル、正直今までも同じようなものはいくつかあった。
「この中から一握りだけがプロに~」、「この中で勝ち残るのは1チーム~」

だが、いずれもサッカー漫画という題材においては同じポジションを争いあうのは数名であったり、いずれも敗北した後は良きライバルとして、良き応援者として作品中に介在することが確約される。

『ブルーロック』においては全員が同ポジション、脱落者については既刊現在で全く触れられず「この先一生日本代表に入る権利を失う」とまで言われる。実に不条理だが生き残った者が最高のFWになる素質を備えていることが明確化される実にシンプルな構成になっている。

この設定だが当然「サッカーっていろんなポジションあるけど成立するの?」「FWだけで選抜って何をするの?」という疑問に繋がり次へ読み進める手が止まらなくなる。

スポーツ漫画の王道構成

スポーツ漫画においては話の構成がある程度決まっている

練習→試合→課題→練習→試合…

練習をこなした成果を試合で披露する、試合の結果に関らずすかさず試合に移る。その中で友情、努力、勝利など様々な人間ドラマが展開される。
スポーツ漫画が飽和している現代少年漫画においては読者の肥えた舌に応えることが人気作品となる一つの必要要素だと考えているが、王道の展開を行うことは必ず上記の構成に入り込むことになる。

目にしたことがある光景は良く言えば王道、悪く言えば二番煎じ、飽きをもたらす。
飽きに対してどのような魅せ方をするかが問われる。

『ブルーロック』はとにかく試合を行う。試合に次ぐ試合。試合が終わったと思えば試合が始まる。また、練習の描写は試合前のアップ程度。練習での気づきが試合に生きるという展開はあくまで切り捨てる。特に主人公の潔世一においてはそこそこ優秀なFWとして描かれる。当然周囲の優秀なFWをみて差を痛感させられる。敗北をこれでもかと味合わされ触発される。そこから新たな着想を得て進化していくというのが基本的な路線となっている。中だるみの可能性が高い練習パートからの脱却、スリルに当てられる試合パートにおいて練習をこなす。練習を省くことで作品にテンポをもたらす。

また、作品中8割程度は
各キャラクターのゴールシーン=FWの見せ場
となっているため作品への流入が容易い。この構成が多くの読者を引き込むことを可能にしている。

 サッカーの原点回帰

集団スポーツを行う上で欠かせないポジション(役割)の概念。特にサッカーなど時間が常に動くオンタイムかつフィールドが広いスポーツにおいては役割を分担することが時代の流れとともに当たり前のものとなっていった。青い監獄では全員がFWであるため「試合が成り立つのか?」という疑問が先に立つが作品の序盤で描かれる。

作中通しての一次セレクションでは、5チームでのリーグ戦を行い上位二チーム以外は脱落。脱落チーム以外の中でも最多得点者は次の選抜に残るというルールのもと試合が行われる。

当然、チームの勝利よりはもちろんだがそれぞれが最多得点者になるべくボールを取り合う、サッカーとは呼ぶのも憚られるお団子サッカーが展開される。

だがこの試合において最初に得点した者を周囲が認めることでボールが集中し暗黙の了解でチームが形成される。

作中、絵心(青い監獄の発案者)は一人の選手によりDFシステムが創造されそれを破るために新しい戦術が生まれると語る。スポーツの歴史を紐解いても明らかであるが、頭の中に出来上がってしまった固定観念は戦術という言葉で一人の個の能力を抑制してしまっていた。漫画においては自然と読み手も書き手もチームプレーの大義名分のもとに個を抑圧してしまうことに慣れていたことに気づかされる。

『ブルーロック』では個が出ること、(作中では自意識‐エゴ-)が求められる。個の突出はそのままキャラクターに魅力をもたらし見せ場を作る。挑戦からの成功のテンポの良さがキャラクターの個性を次から次へと引き出していく。

サバイバルと少年漫画の両立

作品通して個性と才能にスポットが当てられがちだが王道の少年漫画らしい熱さも捨ててはいない。作品中では敗北にも明確に焦点が当てられている。サバイバル物として脱落というスリルがある一方で、敗北したものにも復帰のチャンスが見せ場として残されている。

一次選考ではチーム得点王が次の選考に残されたり、本誌で盛り上がっている二次選考(既刊6巻~)では2~4人組で勝利したチームが相手チームより引き抜きを行い5人組になるまで試合を繰り返すライバルリーバトルが展開されている。

いずれも一度の敗北を喫してもそれを認めることが許されている。敗北から立ち直るという少年漫画的なレールも用意されている。作中でスポットを浴びるシーンもほとんどが挫折から自分を認めて脱却を図るプロセスから成り立っている。

サバイバルものというキャラクターを使い捨てることを余儀なくされる設定だがその隅には必ず立ち直ることのできるチャンスが用意されている。作中のルール作りはロジカルに成り立っていることがわかる。

 

 

 

既刊8巻にして100万部、売り上げがすべてとは思わないが、これだけ評価されるに値する作品ということは自信を持って言える。
将来的にどのような方向にかじ取りをするのかは不明だが個性の突出からなる魅力づくりにおける熱は冷めないでほしい。